2015年1月20日火曜日

【韓国古代史】初期鉄器時代の「辰国」関係者の?墳墓から国宝級の出土品

☆初期鉄器時代の墳墓から国宝級の出土品/忠州
(韓国紙「朝鮮日報」)

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/01/20/2015012001198.html

http://www.webcitation.org/6Vi6S3mb4

調査団は「死者と生者は進む道が異なるという意味を込め、死者のための副葬品をわざと壊してから納めていた」と説明した。



☆辰国~三韓との関係

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E5%9B%BD#.E4.B8.89.E9.9F.93.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

『史記』よりもはるか後世に書かれた『三国志』には「辰韓者古之辰国也」とあり、3世紀の辰韓は辰国の後身とされている。

これに対し、『三国志』よりもさらに新しい『後漢書』では「韓有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁辰(略)凡七十八国(略)皆古之辰国也」とあり、三韓の地すべてが昔の辰国であるとしていて『三国志』とは異説となっている。

いずれにしろ辰国は辰韓または三韓の前身であるとされている。



☆辰韓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%9F%93

辰韓(しんかん, 紀元前2世紀~356年)は、朝鮮半島南部にあった三韓の一つ。帯方郡の南、日本海に接し、後の新羅と重なる場所にあった地域である。その境は、南にある弁韓と接しており、入り組んでいた。もともと6国であったが、後に分かれて12国になった。そのうちの斯蘆が後の新羅になった。辰韓人は穀物と稲を育て、養蚕を生業としていた。

『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝、『晋書』辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、馬韓はその東の地を割いて、与え住まわせ辰韓人と名づけたという。そのため、その地の言葉には秦語(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、この亡民が秦代~前漢代に渡来したことを物語る)が混じり、秦韓とも書いた。秦人は王にはならず、王族は馬韓人であった。

水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に中国からの移民と考えて間違いない、と述べている



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